遺跡の紹介
1地理的環境
前田遺跡は、吉野川左岸中流域に位置する土成町にあり、県内最大規模の複合扇状地状の熊谷川が形成した小規模な扇状地頂部に位置します。遺跡は南側斜面にあり、現地表面の標高は約70m〜80mです。
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| 遺跡遠景 | 調査区の様子 |
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| 発掘調査の様子 | 遺跡見学会の様子 |
2遺跡の概要
前田遺跡は平成2・3年の二年間にわたり約10,000uを発掘調査し、旧石器時代から近世に至る遺物と共に弥生時代後期末葉から後期初頭にかけての集落跡、中世の集落跡、近世の梵鐘鋳造に関わる遺構などを確認することができました。
弥生時代から中世の遺物が混在する土層からのナイフ形石器や石核が出土したことから、前田遺跡の初現を旧石器時代までさかのぼることができると思われます。また、縄文時代草創期、中期、後期の遺物や遺構を確認し、断片的な姿を垣間見ることができます。
弥生時代中期以降になると、集落の形成が始まります。検出された遺構の位置から復元される集落の姿は、中央に広場的な空間を持ち、その周囲に竪穴住居や堀立柱建物が配置されるものでした。この集落は、土成町一帯の扇状地に展開する同時期の遺跡群(北原遺跡、北原〜大法寺遺跡、土成前田遺跡)の中では最大のものです。堀立柱建物の多さから見ても、この地域の中心的な集落であったと考えられます。そして、弥生時代後期初頭には廃絶したと考えられます。
鎌倉時代前半(13世紀)には遺跡の東側が居住地になります。この住居域では、小規模な堀立柱建物を含む多数の柱穴群が確認されました。遺跡の西側では、鍛冶遺構、中央部では炭窯が集中して検出され、当時の村落においてこうした作業が分業されていた可能性が指摘できます。出土した土器類は在地色が強く、当時吉野川下流域に大量に搬入された和泉型瓦器椀を模倣した在地生産瓦器が確認されました。
近世の梵鐘鋳造遺構は、17世紀後半の操業と考えられます。近隣の熊谷寺が1661年に行った梵鐘鋳造に関わったと考えます。
遺跡のデータ
| 遺跡名 | 前田遺跡 | |
| まえだいせき | ||
| 所在地 | 徳島県板野郡土成町土成字前田55-1他、吉田字牛屋谷134-1他 | |
| とくしまけんいたのぐんどなりちょうあざまえだ55-1ほか、よしだあざうしやだに134-1ほか | ||
| 北緯 | 340655 | |
| 東経 | 1342036 | |
| 調査期間 | 1990/05/10-1991/0204 1991/04/09-1991/04/12(試掘) 1991/07/01-1991/10/04 |
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| 調査面積(u) | 7710/100/3000 | |
| 調査原因 | 四国縦貫自動車道建設に伴う発掘調査 | |
| 遺跡概要 | ||
| 遺跡の種別 | 集落 | |
| 主な時代 | 旧石器/縄文/弥生/中世/近世 | |
| 遺構 | 縄文-土坑2+/弥生-竪穴住居跡5+掘立柱建物跡9+土坑17/古代-土坑3/中世-掘立柱建物跡8+土坑+土壙墓+鍛冶炉6+炭窯4/近世-鋳造遺構1 | |
| 遺物 | 旧石器-旧石器/縄文-縄文土器/弥生-弥生土器+石器/古代-土師器+須恵器+陶磁器/近世-鋳型 | |
| 特記事項 | ||
| 報告書 | 書名 | 前田遺跡 |
| 副書名 | 四国縦貫自動車道建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告2 | |
| シリーズ名 | 徳島県埋蔵文化財センター調査報告書第2集 | |
| 発行 | 徳島県教育委員会 財団法人徳島県埋蔵文化財センター 日本道路公団 |
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