B地点の概要
今回の調査では、鎌倉時代〜室町時代の遺物が出土しましたが、遺構は確認できませんでした。
しかし、調査区南側による噴砂(液状化現象)の痕跡が認められました。噴砂は地震で大きな振動が加わったとき、地下の砂が地下水と混じって液状となり、地面を裂いて表面に噴き出したものです。古代の大地震については、文献資料に残されているものもありますが、発掘調査による噴砂の検出でも知ることができます。
文献資料には、何年に大地震が発生したと記録されますが、発掘調査で検出した噴砂の痕跡では、発生した時代がわかるのでしょうか?
発掘調査では、噴砂と一緒に出土した遺物がその地震の時間の物差しとなります。古城遺跡では、この噴砂が検出された土層の少し上で15世紀後半から16世紀にかけての土器が出土しました。このことから、噴砂が噴き出したは15世紀後半頃と推定できます。
この時期の相当する巨大地震としては、明応7年(1498年)に東海地震が発生したと思われる記録が残されています。東海地震と南海地震がほぼ同時か、東海地震発生後の2年以内に南海地震が発生するという規則性がありますが、この時期の南海地震の存在については四国地方にその存在を記した記録がなく不明とされてきました。しかし古城遺跡や同じ板野町内の宮ノ前遺跡でも15世紀後半の大きな地震の証拠となる噴砂が検出されたことで、1498年の東海地震に対応する南海地震が存在した可能性を示すこととなりました。
参考文献 寒川旭 「徳島県の遺跡における地震の痕跡」『徳島県埋蔵文化財センター年報vol.2』 1991年
遺跡付近 土層たい積状況 噴砂の状況、西壁セクション図参照 噴砂の状況、南壁セクション図参照 噴砂の土層図 B地点遺構配置図(噴砂) B地点遺構出土遺物
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