敷地(しきじ)遺跡出土の木簡
(2001/3/7発表)
1.はじめに(財)徳島県埋蔵文化財センターでは1997・1998年度に観音寺遺跡において徳島南環状線に関わる埋蔵文化財の発掘調査を実施しました。その結果、発見された川の跡から約90点にも上る大量の木簡が確認されました。その中には「論語」の内容を記したものや国府の役人(国司)の制度について記したもの、「難波津の歌」を万葉仮名で表記したものがあり全国的にも最古級の木簡として非常に注目されています。しかし、発掘調査においては国府を示す建物群の跡などは十分にとらえられていませんが、1999年度の敷地遺跡においては国司が居住したと思われる館跡が見つかり、わずかながらも律令時代阿波国の中心地の様子がつかめてきています。 |
2.木簡出土の様子観音寺遺跡・敷地遺跡の2000年度の発掘調査で出土した木簡はともに川の跡や溝遺構の中から出土し、観音寺遺跡で11点(その後の調査等で合計15点)、敷地遺跡で1点を数えます。しかし、いずれの木簡も表裏や上下左右の向きは一定ではありませんが、ひとつの限られた層の中に含まれていました。これにより同時に出土した土器からこの層の年代を考えると観音寺遺跡の木簡は8世紀の中ごろから後半のものと10世紀のもの、敷地遺跡の木簡は9世紀ものであることがわかりました。これらの層からは木簡のほかにも人形(ひとがた)木製品や舟形木製品、斎串(ゆぐし)、墨書(ぼくしょ)土器、刻書(こくしょ)土器などが出土し注目されます。 |
3.木簡の特徴木簡にかかれた文字を判読するとその内容から次のようなことがわかりました。(1) 年号を記載した木簡があり、「延暦(えんりゃく)3(784)年4月24日」、「天平勝寶(てんぴょうしょうほう)2(750)年8月15日」と読み取れる。 (2) 群衙(ぐんが)の役人から国衙(こくが)の役人に宛てた「解文(げぶみ)」木簡があり、紙とあわせて木簡を使った事務手続きの一端がわかる。 (3) 「菜漬」の木簡から国司館内の御厨(みくりや)での様子の一端が読み取れる。 (4) 1997・98年度の成果とあわせて考えると、木簡の年号から国府は7世紀の後半から8世紀末まで存続していたことが確認できる。 |
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@「延暦三年」の年号がある木簡 |
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| [常度カ][五] 「 [ ]□□伍人請□之申出 延暦三年四月廿四日 」 |
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A「謹んで解す…」と記載されている木簡(表) |
A「天平勝寶」の年号がある木簡(裏) |
| ・「謹解□□□原□判官□□公事□□□心□□□」 | ・×[ ]何留玖拾四束 [ ]作不□ 天平勝寶二年八月十五日□足」 |
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K「(菜)漬他人不可取犯」と記載された木簡(敷地遺跡) |
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「<是□漬他人不可取犯 」 |
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縮尺不同
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