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Hl 調査地の様子 矢野遺跡は、徳島市国府町矢野にあり、吉野川の支流、鮎喰川左岸の標高10m前後の微高地に位置しています。 南北約2km、東西約1kmの範囲に拡がり、縄文時代から中世にかけての、非常に大きな遺跡です。特に徳島県内の弥生時代の中心的な役割を果たした集落であることが分かりました。 |
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H2 竪穴住居群跡 調査の結果、弥生時代の中ごろから終わりごろにかけての竪穴住居跡が100軒ちかく検出され、徳島県内で最大級の集落遺跡であることが確認できました。そして、5〜10軒が一つの群をなし、住居と住居は数mの間隔で存在していたことも分かりました。 弥生時代の一集落の規模が確認されたのは、県内で初めてのことです。 |
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H3 竪穴住居と銅鐸埋納坑 竪穴住居跡に隣接して、銅鐸埋納坑が検出されました。集落内での銅鐸の出土は、全国的にも類例が少なく、銅鐸出土数の多い徳島県においても貴重な例です。そのうえ、銅鐸が集落の中心から出土したことにも重要な問題が含まれています。 銅鐸に関わるマツリが、ムラの指導者のもと、おごそかに執り行なわれていたと考えられます。 |
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H4 銅鐸の社跡 銅鐸が埋納されたのは、今から約1800年くらい前の弥生時代終わりごろです。 銅澤の埋納にあたって、マツリが行われています。銅鐸を埋める穴の上に、棟持柱をもつ建物を建て、銅鐸のひれという部分を上下にして埋められています。 銅鉾埋納坑に柱穴や建物跡が伴う例は、矢野遺跡と島根県の荒神谷遺跡だけです。 |
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H5 謎に包まれた銅鐸 矢野銅鐸は、高さが97.8cm、ひれを含めた最大幅が44.8cm、厚さが約2.9mm、重さが約17.5kg、底の口径が37.4cmです。この大きさの銅鐸は最新式のものといえます。 古いタイプの銅鐸は小さくて、音を鳴らし「聞く」銅鐸、それがだんだん大きくなり、置いて「見る」銅鐸に変わってきたと考えられています。 銅鐸がどのように使われたのか、なぜ埋められたのか、謎に包まれています。
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H6 鉄鏃 弥生時代になると、大陸から鉄器が持ち込まれ、弥生時代の中ごろには、日本でも作られるようになりました。 この鉄鏃は弥生時代の終わりごろのものです。大きいもので長さが約10cm、幅が約3cmあります。おそらく戦いの武器として使われたのでしょう。 |