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Al 調査地の様子
大柿遺跡は三好郡三好町昼間にあり、吉野川北岸の標高80mの微高地に位置しています。
東西約2km、南北約1kmの範囲に拡がり、縄文時代の終わりごろから近世にかけての大規模な複合遺跡であることが、発掘調査によって明らかになりました。
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A2 埋められた石鍬
長軸70cm、短軸40cm、深さ15cmの浅い楕円形の穴に、砂岩の丸い石を入れて周りを囲んだ後、一部が欠けた石鍬を10数枚埋めてありました。おそらく、使い終わった石鍬に感謝の気持ちをこめて埋めたのでしょう。縄文時代の終わりごろ農耕が行われていたことが考えられます。
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A3 水田の跡
現在の地表下約4mのところから、弥生時代前期の終わりごろの水田(棚田)の跡が見つかりました。
微高地の南斜面を幅4〜1mの階段状の田にしてあります。当時の稲株の跡や人の足跡、鋤の跡が確認されました。
弥生時代の棚田としては、現在のところ最も古いものでしょう。
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A4 カマドのある竪穴住居跡
古墳時代後期、たくさんの竪穴住居がせまい場所に密集していたことが確認されました。
ほとんどの住居は、北壁の中央にカマドがつくられていました。カマドの中から、甕や壺なども見つかっています。とのカマドを使って食べ物を煮たり焼いたりしながら、家族そろって食事をしていたことでしょう。
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A5 土器を焼いた窯
縦120cm、横110cmで、隅の丸い、ほとんど正方形に近い穴です。深さは30cmありました。窯の床の面には、土器を8cm角に割り、土器を焼く台として使用しています。窯の東・南壁面や南東側の床面が熱により赤く焼けています。見つかった土器から、平安時代の終わり、土器を焼くためにつくられた窯であると考えられます。
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A6 柱の穴に埋められた壺
鎌倉時代の集落跡の中心部であると考えられる所から、建物の柱を抜いた後に、中国製の壺や日本製の壺などが埋められていました。建物を壊してから、土地の神をまつる行事をしていたと思われます。
この場所には、地域の有力農民、もしくは武士の屋敷があったのかもしれません。 |