タイトル観音寺

調査地の様子 I1 調査地の様子
観音寺遺跡は、徳島市国府町観音寺にあり、吉野川の支流、鮎喰川左岸の標高6〜8mの微高地に位置する、古墳時代から平安時代にかけての遺跡です。 論語が書かれた、日本で最古級の7世紀中ごろのものをはじめ100点ちかくの木簡が、川の跡から出土しました。他に、数千点の木製品や土器なども見つかりました。
 
自然流路の跡 T2 自然流路の跡幅20m、長さ150m、深さ2mの川の流れの跡を調査しました。いまでも絶えず水がわき出ています。
 多数の木簡をはじめ木製品が見つかったのも、光と空気に触れず、一定の湿度を保った自然条件によるところが大きいのです。
川底から出た遺物 T3川底から出た遺物
遺物の多くはマツリの後、一括して捨てられたものとみられます。木製品、錮鏡、馬の骨、土器などが見つかりました。これらの中でも最も多いのが土器類で、50万点を超えます。墨で文字を書いたもの、高杯、壺などの完形品、あるいは、それに近いものが目立ちました.これらの土器で、年代が決まります。
「論語の木簡」 T4 「論語」の木簡
「論語」の木簡は長さ約64cm、幅約3cm。7世紀初めごろのもので、奈良県から出土した木簡とともに、日本最古の木簡です。国府の役人が昇進試験のため、字と文章を練習したのかもしれません。

「子日学而習時不孤口乎」
「子日学而時習之、不亦説乎(子日く、学びて時にこれを習う。またよろこばしからずや)」という論語の冒頭の一説に似ているが、文章に違いがある。
税の木簡 T5 「税」の木簡
「税」の木簡は長さ約50cm、幅約3cm。7世紀中ごろのもので、五十戸(さと)税と記されているのが注目されます。税の単位が「束」であることから、50戸ごとにお米を税として支払ったとも考えられます。「税」を示す木簡としては日本最古のものです。

「波ホ五十戸税三百□ 高志五十戸税三十四束」
「高志(たかし)」は現在の上板町高瀬周辺に比定される。税額としては少なしもので、各戸に課された田税の可能性もある。
和歌の木簡 T6 「和歌」の木簡
「和歌」の木簡は長さ約16cm、幅約4cm。7世紀末ごろのもので、万葉がなの文字資料としては日本で最も古いものです。当時の役人も、万葉がなの手習いに使っていたのでしょう。

「奈尓波ツ尓作久矢己乃波奈」
平安時代にまとめられた古今和歌集の仮名序にある「難波津に咲くやこの花冬こもり今は春べと咲くやこの花」といこう有名な歌の一部。

※木簡とは、紙が貴重だった古代、文字を書いた木の板です。木簡の内容には、帳簿や付札や漢字手習いなどがあります。