タイトル旧石器 タイトル縄文

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旧石器時代の石器 13道具を手にした人間
 今から約2万年くらい前から、徳島にも人々が住むようになりました。その当時(旧石器時代)の石の道具です。木の柄に取り付けて、ナウマン象など大型動物の狩りをするときに使われました。
 彼らは石についてこだわりを持ち、加工がしやすく、割ると鈍い刃のようになるサヌカイトと呼ばれる右をおもに使っていました。サメカイトは香川県から運ばれたものです。
日吉谷遺跡で見つかった石器 14見つかった石の道具
 吉野川北岸の阿波町を中心とした地域は、およそ2万年ぐらい前の右の道具が、たくさん見つかっているところです。石や獲物を求めて、このあたりを移動していたのでしょう。
貝塚の調査 15貝塚ウォッチング
 貝塚から何がわかるのでしょう?人や動物の遺体は土の中では、何百年もたつととけてなくなってしまいます。しかし、貝塚では貝殻のカルシウム分によって、普通では残らない骨でできた釣り針や、動物の骨などの食べかすが残っています。そのため貝塚は、当時の人々の生活を知る大切な手がかりになります。
貝塚の貝で判ること 16海の幸
 三谷遺跡からは、貝40種類、魚20種類が確認され、貝ではハマグリ、魚ではクログイがたくさん見つかっています。三谷遺跡に暮らした縄文人は、すぐそばの吉野川河口付近で漁をしていたようです。他には、シカやイノシシも多く、タヌキ・サル・クマなどの骨も見つかっています。またたくさんのドングリや米も見つかっています。
埋葬されたイヌ 17葬られたイヌ
 イヌは、現在と同じように、縄文人にとってもかわいい動物でした。狩りの際の猟犬としても大切な役割を担っていたのかもしれません。イヌが死ぬと人々は悲しみ人間と同じようにていねいに埋葬したのでしょう。
 三谷遺跡では、およそ7匹のイヌの埋葬が確認されています。
矢野遺跡出土縄文土器
矢野遺跡出土縄文土器
18縄文土器の発明
19さまざまな縄文土器

 長く寒い氷河時代が終わりに近づいた頃(今からおよそ1万年前)、縄文人は土を使って形をつくり、焼いて土器をつくることを知りました。縄文土器は、今のナベのように主に煮炊きすることに使われました。土器で煮たり炊いたりすることによって、これまで食べられなかったものが、食べられるようになりました。また、まつりに関する特別な土器も作られました。
矢野(やの)遺跡・徳島市国府町
縄文時代の石器
縄文時代の弓矢の復元
20狩りの道具
21弓矢(復元)

 縄文時代には、まだ金属製の道具はなく、石で様々な道具をつくりました。写真は狩りに使われた矢じりです。縄文の森は、シカやイノシシ、ノウサギなどの小動物や鳥の住みかで、このようなすばしっこい動物を離れたところからでもねらえる弓矢が大いに活躍しました。
石の斧(復元) 22石の斧(復元)
 縄文人は、森で木の実を集めたり、狩りをしたりするだけでなく、石の斧を使い、木を切りたおし住居の柱や丸木舟の材料として利用していたようです。

縄文時代の岩陰遺跡 23森に暮らした縄文人
 私たちにとっても、どこに住むか、どこに家を建てるかはとても大きな問題です。縄文人にとっても大切なことでした。
 ここでは、屋根のように大きな岩がせり出した岩陰をうまく利用していたようです。もしかすると、狩りのために、しばらくここで生活していたのかもしれません。
矢野遺跡出土土製仮面 24仮面にこめられた祈り
 縄文人にとって自然はすばらしい恵みを与えてくれ、暮らしのうえでとても大切なものでした。でも時には、地震や洪水などにより、食べ物がなく、飢えに耐えなければならないこともあったでしょう。
 大自然の中で縄文人は、豊かな暮らしを願いひたすら祈りをささげたのかもしれません。
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