タイトル古代

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奈良時代の土器 49 奈良時代の土器
 645年の大化改新の後、天皇を中心とした新しい国づくりが始まりました。写真は奈良時代に使われていた土器です。須恵器と素焼きの土器が使われていましたが、土器の大きさに一定の規則性が見られる点がこの時期の特徴です。これは、朝廷のきまりに基づいて、役人が使う土器がつくられていたことを示しています。

瓦 50 瓦
 奈良時代になると、仏教が盛んになり、国々にお寺が造られるようになりました。
 写真は、お寺(立善廃寺)の屋根に使われていた瓦です。当時、屋根に瓦が使われるのは、主にお寺や役所などの建物でした。ずいぶんと重い瓦ですから、屋根を支えるためには、丈夫な太い柱やしっかりした基礎が必要でした。
掘立柱建物跡 51 平安時代の建物跡
 このころになると、竪穴住居に代わって、地面に柱を立てて、壁をつくり、屋根を支える掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)が一般化します。
 発掘調査をすると、当時の柱は残っていませんが、柱を立てるために掘った穴の跡が規則正しく並んでいる様子がわかります。この掘立柱建物は、柱の穴の大きさや建物の規模から、かなり大きな建物が建っていたことがうかがえます。
文字に関する出土品 52 文字との出会い(一部復元)
 政治のしくみや法律が整えられていくうえで、様々なことがらを文字によって記録することは大切な仕事でした。
発掘調査で、須恵器の硯や文字を書いた木札などが見つかり、都へ納められた税の荷札などは、そのころの様子を具体的に知る手がかりとなります。
文字が書かれた土器 53文字の書かれた土器
 左側の土器の底には、「□本」、右側は「賀専当」と書かれていますが、意味や読み方については、よくわかっていません。板野郡板野町の黒各川宮ノ前(くろだにがわみやのまえ)遺跡と、徳島市の庄遺跡から見つかりました。どちらも役所が置かれていたと推定されているところにあたります。
祭祀木製品 54まじないに使われた木の道具
 平安時代の人々にも、今の私たちと同じようにいろいろな悩みがありました。それらを木でつくったまじないの道具にたくし、まつりや儀式を行いました。
 代表的なものは、中国から伝わった人形(ひとがた)で、まじないや戒(はら)い、病気治療に使われ、溝や川などに流されました。

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中世

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中世の土器 55鎌倉・室町時代の土器
 武士が力を持つようになった鎌倉・室町時代に、生活で使用されていた土器や陶磁器などです。室町時代になると、中国のお金が広く使われるようになり、市(いち)が発達しました。
 中島田(なかしまだ)遺跡では、川を利用して、様々な産地の土器や陶磁器が集まり、人々が活発に交流していた様子がわかりました。
中国から運ばれた土器 56中国から運ばれた陶磁器
 陶磁器の中には、日本各地や中国大陸から運ばれたものもたくさんありました。
 青緑色のうわぐすりのかかったお碗や皿、真っ白に焼き上げた皿は、このころの日本ではまだつくることができないものでした。
区画屋敷跡 57村の様子
 鎌倉時代から室町時代にかけて(今からおよそ600年前)の屋敷跡です。四角く溝によって区画された屋敷地がつながっている様子がわかります。
 それぞれの屋敷地内で、掘立柱建物は溝とほぼ平行するようにまとまって建てられていました。
お金の埋納 58埋められたお金
建物の柱を支える石のそばから、中国のお金(銅残)68枚を入れたつぼが見つかりました。これは、この建物を建てたり、こわしたりする際に、工事の安全や建物の無事を祈って、埋められたものと考えられます。お金の他にも、土器や中国でつくられたやきものなどが埋められた例もあります。
室町時代のお墓 59室町時代のお墓
 仏教とともに火葬が伝わり、その後広く行われるようになりました。ここでは、館の北東隅に盛り土をして、一辺5mの四角形に青石を敷きつめた、お墓が造られていました。お墓の中央には、火葬した遺骨がつぼに入れて納められていました。遺骨の入れられたつぼは、遠く中国から運ばれてきたものでした。
将棋の駒 60将棋の駒
 将棋が日本に伝わったのは、奈良時代といわれていますが、この将棋の駒は、鎌倉時代の溝の底から見つかりました。長さ約3cmの細長い五角形の駒で、おもてに「歩兵」と墨で書かれています。
 どんな将棋をして楽しんでいたのでしょうか?生活のゆとりが感じられる小さな発見でした。

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